Archive for May, 2015

“聖子” 漬けの日々の中で…

基本的にブログやっている場合、その主の年齢は不詳の方がいいと思っていますので、まあ、なんですが、私は、80年代アイドル全盛期に青春ど真ん中でした。 青春ですから、大学生ではなく、ね、色んなことが、悶々としていた、あの青春時代です。 青かった、あの頃です…   私はもともと、聖子のファンではありませんで、私は、K.M のファンで、その後 H.C のファンになりました。 コンサートに行っては紙テープ投げていたっけね…笑 あの頃はそうでしたね。 C ちゃーん!!ってね、叫んでた。笑   だから、聖子は、何と言うか、自分がファンにならなくても、日本中がファンでしたし、別にいいのかな、と言う感じで、一歩距離を置いていた。 でもね、テレビつければ歌番組には必ず聖子、CMも聖子。 いつも聖子は私のそばにいました。   聖子のデビュー当初は良く覚えてます。 昨日今日デビューしたくらいの時期に、レッツゴーヤングに初登場した時、兄と、この子最近デビューしたって子だね、って話していて、で、その歌声は、もう完成してましたからね… 堂々としてた。 売れるなって、子供ながら思った。笑   ただ、ファンじゃないから、追っかけることはしないので、聖子の記憶は日に日に薄れていきまして、せいぜい曲が耳に残っているくらい。   で、80年代終わり頃から2000年入るまで、聖子の記憶はほとんどありません。 あるのは、アメリカ行っただの、結婚しただの、出産しただの、離婚しただの、そんな週刊誌ネタばかりで、松田聖子は、まあ、よくある過去に売れたアイドルの末路を歩むのかなぁ… と。 で、それでも、何かの番組のエンディングに聖子の曲が流れたりするようになって、えっ、まだ歌ってるんだ… って。 しかも、しっとりといい感じで。 で、「SEIKO BALLAD ~ 20th Aniversary」を聴くようになって、今の聖子を、と言ってもそれも、何年も前の聖子でしょうが、あの頃の聖子とは違う、松田聖子に再会したわけです。   で、そんな私が今回こうやって聖子を聴き直すことになって、CDだけではなく、Youtube でですが、色々な映像を見る中で、私の聖子の記憶に完全に抜けていた80年代終わり頃から90年代の聖子に触れるに付け、何と言うか、今更何言ってんだって感じなんですが、聖子は、ホント、色々あったんだね…って、思いました… デビューから現在までの聖子をYoutubeで辿っていくと、ある意味、聖子の一生をダイジェストで見たようで、ちょっと気持ちが重くはなるんですが、こんなに色々やってきて、まだまだ聖子は今も歌い続けていると言うこの事実に、ただただ唖然としましたね… と同時に、こんな歌手と同じ国で日本人として、同じ時代を生きててこられたことに、本当に感謝しなければ、と。 よくよく考えてみてください。 聖子のファンでなくても、もし、あの頃、松田聖子がこの世にいなかったとしたら、「裸足の季節」も「青い珊瑚礁」も「チェリーブラッサム」も「夏の扉」「Sweet Memories」も「赤いスイートピー」も何もかもが、なかったとしたら。 今の日本において、そんな世の中、考えられますか? あり得ないですよ。   でも、正直、色々映像を見る中で、こんな聖子見たくなかった、と言うのもありますし、デビュー当時のあの奇跡の声からのどを痛め、あのキャンディーボイスと言われるまでに復活して、でも、87年頃の彼女の声なんかは、もうそのキャンディーボイスでされも跡形もなくなっていて、ただ声が細く、きゃんきゃんするだけ。 こんなの聖子じゃない…   特に、シングルとしては2年ぶりとなった、87年の「Strawberry Time」は、ちょっとね…   恥ずかしながら、この頃の聖子は今回始めてみたようなものなので、その声もさることながら、その容姿も、正直言って別人で、私が持っていた聖子の姿が全くなくて、聖子への想いとこの現実とのギャップに暫く悩みましたね。笑 いや、ホントに。 こんなんだったの?って、ちょっとショックでね。 今更だけど… […]

Sunday, May 31st, 2015 

聖子漬け の変態オヤジ ”萌え” を考える

Wikipediaによると   “萌え” 俗語としての萌え(もえ)とは、一部文化において、アニメ・漫画・ゲームソフト等様々な媒体における、対象(主として登場人物)への好意・恋慕・傾倒・執着・興奮等のある種の感情を表す言葉である。「対象物に対する狭くて深い感情」という意味を含み、それよりは浅くて広い同種の感情を表す「好き」という言葉を使うのにふさわしくない場合に用いられる。最大公約数的には架空の人物、アイドル、無機物といった現実的には恋愛対象になりえない対象に対する、自覚的な「擬似恋愛」といった定義でくくることもできるが、必ずしも恋愛感情とは同一視されない。愛玩的対象に対して、恋愛感情ではない何かが感情として現れることを、萌え元来の意味である芽が出ることから何かに芽生えるという意味で使われていったとされる。「心に春を感じる」といった語感で用いられる。   だそうだが、この説明で言うと、萌えるのは自分のよう。 自分が萌えるから、”萌え”というと、アキバのオタク小僧の、ションベン臭い、なにか異臭を放つ言葉に成り下がったけれど、私が思う萌とは、Wikipediaのもう一つの説明、 「萌え(もえ)とは本来の日本語では、草木の芽が出る(伸びる)様を言う。」 である。   で、ひょんなことから聖子漬けになってしまった私は、この”萌”を聖子に見たわけで…   聖子、と言ってもデビュー当初の一瞬のこと。   実際、もうこの頃の聖子は、かわいい、としか言いようがないんだけれど、でも、”萌”ってそう言うのとは違うわけで…   チェリーブラッサム…     脇をしっかり閉め、振りは最小限。 AOR調の比較的激しいに曲にもかかわらず、立ち位置を変えず、常に一定のステップを踏んでいる。 この抑制された動作の中、歌声は曲調と同じで、伸びやかで激しく、元気良く、それでいて上手い。   このギャップ…   デビューしたばかりで、右も左も分からず、無我夢中で歌っていた聖子。 夢や希望、期待と不安で、もう今にも、はちきれそうな、この頃の聖子。 そんな聖子を歌ったかのような曲。 結局、聖子のこれまでの曲中においても恐らく、夏の扉とともに、一番激しい曲の中で、一定に保たれたステップとグッと抑えた振り。 その中で、聖子は精一杯アイドルで、笑顔で… そして、何もかもがかわいい…   2つ目のチェリーブラッサムは、普通、歌番組だと他の歌手や司会者、或いは観客がいる中で、賑やかで楽しい雰囲気の中で歌うのに、この時は、そういった賑やかさはなく、スタジオで一人で、この激しいチェリーブラッサムをいつものとおり、かわいさ一杯で、精一杯、淡々と歌っている、この感じがなんとも、言えない… 分かってもらえるかどうか…     そして、 夏の扉…   夏の扉は比較的振りが入っていて、それもバージョンが色々あるようで、一番の違いは、フレッシュ、フレッシュ、フレッシュ、の所。 松田聖子 夏の扉6 投稿者 ManPimentel 後半は手を上に上げていたけど、多分最初は、この映像のように、何も振りはなく、その後、横に振るようになった。 それと、♪あなたは少し照れたよう、のところで、ほとんどは、ここのリズムに合わせて、右を向いた後、首を右に傾けるんですが、この映像ではそれもなくて、代わりに別のポーズをとっているし、♪夏は扉を開けて~、の所も、大抵は手を前に出し、手を振るんだけど、それすらもない。 つまり、この曲では色々振りをつけていくんだけど、この時は極力振りはなく、でも曲はノリがいいので、聖子自身は、リズムに乗って振りにもならないポーズをキュッキュッと、とっている。 前奏の間も、ここは、ステップ踏むだけでなく、彼女自身で考えていたのか、その時々によって色々振りが変わっていて、歌の中では決められた振りの制約があるけど、この前奏の部分は、自分のノリに合わせて、自分なりに振りをつけている感じが出ていて… それがなんとも、かわいくて…   チェリーブラッサムの時は、まだ殻の中でむずむずしていた感じだったのが、夏の扉では、少しずつその殻を破って、芽を出した感じ。     まさに、萌。   […]

Sunday, May 31st, 2015 

なめられた “浅田真央”

そう言えば、今日のTBS「サンデーモーニング」のスポーツコーナーで、浅田選手の現役続行の話題で、 張本氏いわく、     “私、必ずやると思った。 真央ちゃん、かわいいから、また観たいから、続けてくれてよかった。”     確かそう言ってたような…笑     世界のトップ・フィギュア・スケーター、     “浅田真央” も,       なめられたもんだ…        

Sunday, May 24th, 2015