今日はクナのワーグナー。 そう、クナッパーツブッシュ。 クナッパーツブッシュといったらワーグナーと言うくらいクナのワーグナーは人気があります。 以前にも書きましたが、私はこの指揮者が嫌いです。何故なら、この指揮者は楽譜に書かれているテンポ指示を無視し、自分の都合のいいように勝手に演奏してしまうからです。勿論、作品の解釈と言うことでテンポは変わってくるでしょう。しかし、この指揮者の場合、解釈の範疇を超えていると私には映ります。それは、作品を演奏するのではなく、作曲家が何ヶ月も心血注ぎ生み出した音楽の証である楽譜を利用して、自由気ままに、それはあたかも作曲しているかのようです。そこには、作品への愛が感じられません。テンポを崩すことによって、時には他の指揮者からは聴くことの出来ないような、新しくも新鮮な音楽が生まれることもあるでしょう。しかし、私は聴感上どんなに感心する演奏でも、この指揮者のアゴーギクの勝手気ままで、やりたい放題の音楽には心動かされるものはありません。もう一度いいますが、そこには作曲家、作品への愛が感じられませんし、もっといえば指揮をすることへの謙虚さ、畏敬の念が感じられません。 このように思うのは、私がほんの少し作曲をやるからでしょう。 このメロディーにはこのテンポと言うものがあって、それを極端に早めたり、遅くしたりしては作曲家が意図したメロディーではなくなってしまいます。そういったことが作品中いたるところでなされ、テンポが崩れ、それによりクレッシェンドがお化けのように大げさになり、フレーズが分断され、もはや例えばブラームスがブラームスでなくなってしまいます。そうなったら、演奏する意味がどこにあるのでしょう。でも、この指揮者はお構いなしで、楽譜を利用して自分の好きな音楽に変えて恍惚としています。 ナクソス・ミュージックライブラリーにベルリンフィルとやったブラームスの交響曲第3番があります。これを聴いてブラームスを感じましたか?面白いからいいんじゃない、と言う方もいらっしゃるでしょうが、私は、プロの指揮者がこういうやり口というのは認めません。 で、そんな指揮者が振っても違和感がないのが今日聴くワーグナーです。 まあ、不思議と崩せば崩すほど雰囲気が出てきて、名演とされます。 しかしながら、オーディオシステムが以前より良くなったせいか、これまで聴いて感じていた印象と大分変わりました。以前はなかなか豪快でワーグナーらしい雰囲気が良いと感じていましたが、今回聴いてみてある種の凄みみたいなものが、感じられませんでした。こんなものか・・・と・・ ただ、ウィーンフィルがこの頃のウィーンフィルらしい音で大変素晴らしいので、そういう意味でワーグナー演奏としては外せないものです。 リッピングドライブ:PHILIPS CDD3610/85 リッピングソフト:POIKOSOFT Easy CD-DA Extractor PC : Windows XP Pro Core 2 Quad Q6600 2.40GHz AVI作成ソフト:AVIMAKER FLVへのエンコーダソフト:MediaCoder 音声はMP3 【クナッパーツブッシュ/ワーグナー名演集 】 キルステン・フラグスタート(ソプラノ(3)) ジョージ・ロンドン(バリトン(4)) ビルギット・ニルソン(ソプラノ(6)) ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1956年(3)、1957年(1.2)、1958年(4)、1959年(5.6) 【収録】 1.楽劇《神々の黄昏》~夜明けとジークフリートのラインへの旅 2.楽劇《神々の黄昏》~ジークフリートの葬送行進曲 3.楽劇《パルシファル》~幼な子のあなたが母の胸に 4.楽劇《ワルキューレ》~ヴォータンの告別と魔の炎の音楽 5.楽劇《トリスタンとイゾルデ》~第1幕への前奏曲 6.楽劇《トリスタンとイゾルデ》~優しくかすかな彼のほほえみ(イゾルデの愛の死) 以前、ザンデルリンク特集で、”《トリスタンとイゾルデ》~第1幕への前奏曲と愛の死”をアップしましたが、その記事はこちら。 別にこの演奏が最高にワーグナーらしい演奏とは思いませんが、指揮をするうえでの作品に対する解釈とはこういううことです。私にとっては最高のワーグナー演奏です。 経歴を見ると、若くしてバイロイト音楽祭での助手になっていますし、戦後主だった活動もバイロイト中心のようですので、何をやってもワーグナーになってしまうのも、納得。笑 まあ、私にとっては音楽的な才能が感じられない指揮者です。ですから、この指揮者を評価する人のセンスを私は疑います。 ★PC音源はメインシステムで聴きましょう。