歌舞伎俳優の中村勘三郎さんがお亡くなりになりました。 ここに来て色々なご病気になられて、さぞお苦しかったことと思います。57歳と言うことですから、年齢的にもこれからですし、歌舞伎界を牽引してきた第一人者でいらしたので、私のような歌舞伎を日頃観る習慣のない者もその一報に接して、えっ?!と言う感じでしたね。 全くの部外者、外野から眺めていた立場で無責任に言わせていただくと、個人的には、ニュースや番組の特集などで拝見する氏の歌舞伎はあまり好きになれませんでした。勿論、そんな程度では何も判断できないでしょうし、実際じっくり観れば印象も180度変わるのかもしれませんが、大衆迎合的な、と言う詰まらぬ言葉をつい使いたくなってしまうような、あの軽さには付いていけませんでした。若い人にも歌舞伎を、と言うお気持ちで歌舞伎の普及に命をかけていらしたのに、私には勘三郎さんの凄さは理解できないままです… ニューヨーク公演も…??? 実際行って観ていないくせにね。 それがどんなことでも、その世界を極めた人を前にしては誰も何も言葉がないものです。伝統は、それに対しより長く接していくであろう世代に受け入れなければ残っていきません。じゃあ、そのためには七変化し冠だけ伝統を名乗っても意味があるか… 何事も存在しなければ無意味か… 結局は、これから先を生きていくであろう世代をいかに教育するか。伝統であれば、その心は何かをそのままの姿で伝えぬくことか… お互い早く楽にになりたいからと、”食べやすい”、”分かりやすい”の悪魔に心を売ることがないようにしなければいけません。 理解できないことが、もう一つ。 5日に行われた、息子の6代目・中村勘九郎さんが自身の襲名披露口上の際、泣いたこと。 何故泣くのか。泣くのは舞台から降り、白粉を取ってからにしなさい。悲しいのは解ります。私も数年前母を亡くしましたから。ただあなたは芸人です。しかも口上とは言えまだ舞台に上がっているのですよ。私が泣いたのは葬儀等終わって一段落して気が緩んでからでした。恐らく涙が出るのは気が緩んだということでしょう。舞台上で気が緩んだか… 口上でお客に話すときに涙が出たと言うのは、お客に対し甘えがあるということなのだと思います。 で、この息子さんは舞台で泣いて、その後の会見でスッキリとした顔しているんですから、それあんた逆だろ、と思ったわけです。 この先、世の中そんなものなんでしょうね。 デジタルアンプの件、ご無沙汰してますがまた書きますので・・