もう浅田選手の記事は書かない、って以前書いたような気がしますが、また、チョコチョコ書いている私をお許しください。笑 彼女の場合、情報がね、勝手に入ってくるもんだから、ついつい…笑 で、どうもご自身のラジオ番組で、今シーズンの新プログラムの楽曲について公表したそうで、ショートはジャズのスタンダード「素敵なあなた」、フリーはプッチーニの「蝶々夫人」とのこと。 またか……………….. という感じですね… 別に、私のお勧めする曲を採用しなかったから落胆している、という話では勿論なくて。笑 ショートにジャズ、フリーにクラシックって、この前と一緒。 2012~2013 シーズンの、ガーシュインと白鳥の湖のパターンと。 なんで、聴きもしないジャズなんかで滑ろうとするのか分かりませんね… ジャズだと”オトナ”だとでも思っているんだろうか。 ジャズのノリなんて、絶対無理。 この前のガーシュインだって、まあ…、スポーツ選手のやることには、限界は、あるわよねぇ… って感じで見てましたからね。 恐らく、振付けるであろう、ニコルが選曲したんだとは思いますが。 プッチーニはタラソワかな… そんなにたくさん見てはいませんが、ニコルの振り付けは、今一つ競技会用としてはインパクトにかけるような気がします。 綺麗で繊細なのは良いんですが、もう少し振り付けそのもので、選手のマイナス部分を補うくらいの主張があってもいいような気がします。 ニコルは浅田選手には向かない、って思います。 逆にタラソワの振りは、色々詰め込みすぎで、選手にとっては振りをこなすのに精一杯な演技になってしまう傾向がありますね。 ま、曲聴きますか。 っと、その前に、 ちなみにショートの曲「素敵なあなた」、原題は「Bei Mir Bist Du Schon」。 詩は、 Bei Mir Bist Du Schoen, please let me explain Bei Mir Bist Du Schoen, means you’re grand Bei Mir Bist Du Schoen, again […]
Archive for June, 2015
浅田選手、ショートはジャズ、フリーはプッチーニ って… またか…
日本選手から外国人コーチが消えた… ?
羽生選手はブライアンコーチのようですが、それ以外の選手で外国人コーチについている人っていましたっけ… いませんよね… 私の印象としては、世界で戦うには日本人ではなく外国人コーチ、なんてイメージがあったんですが、もう古いんでしょうね。笑 といっても、私なんか、タチアナ・タラソワ、ニコライ・モロゾフ、ブライアン・オーサーくらいしか知りませんから、何のことは無いんですが、それでも、トリノの時なんかで、荒川静香さんは、最初タラソワで、その後モロゾフに変更してますが、タラソワからは気持ちの部分を教わり、その後今の自分に足りないものを補うため、モロゾフについたようですが、その頃のインタビューなんかを見ると、得点的に伸び悩んでたこの時期に、2人の外国人コーチからのメンタル、技術両面からの思わぬ一言があって、それが支えになり、いい状態でトリノを迎えられたとおっしゃっています。 トリノの時は、安藤美姫さんもキャロル・ヘイス・ジェンキンス、高橋大輔さんはモロゾフがコーチだったりと、その時のオリンピック出場選手の半分が外国人コーチでしたからね。 それにあの頃はやはり、もう一段上に行くには、日本人では無く世界レベルで、という雰囲気って確かにあったと思いますし、現に日本のフィギュアのレベルもまだまで、この頃外国人コーチに付いたことで、成績が上がった、という実績もあったと思います。 で、バンクーバーになると、モロゾフとタラソワ。 と、ソチはもう、羽生選手のブライアンだけだろうと思いきや、ペアにジェイソン・ダンジェン、アイスダンスにチャイト・ガリートと、外国人コーチいました。 そうでした。 でも、シングルでは羽生選手のブライアンしかいないわけで、まあ、それは外国人コーチについていた選手が順次引退していった過程でもあるわけで、今時は、わざわざ言葉の通じない環境に身をおいて、何かとリスクのある外国の地で外国人コーチに付かなくても、日本人にも優秀なコーチはたくさんいるし、という雰囲気は、ありますかね… 経済的な問題もあるでしょうし。 これからでてくる若い選手たちが、今後どうするのか、ちょっと注目したいですね。 どっちが良いのか分かりませんが、やはりフィギュアスケートは、スポーツ競技なので、勝負の世界ですから、1点でも多く採れる演技をして、メダルをとるんだ!という強い気持ちが大事なのは言うまでも無いわけで、とかく、自分の納得の演技が出来れば… なんて言いがちな昨今の若者が多いですが、それは上を目指すための自己コントロールの話であって、出来なかったことに対する反省も出来ず、自分への甘えにより平常心を保とうとするのとは、ちと、違うので、そういった良い緊張感を、この同じ飯を食って、同じ空気を吸って育った人たちと、ぬくぬくとした環境で、どこまで保てるか。 まあ、これから出てくるであろう選手は、勝つんだ、という意思が強そうなので、まあ、頼もしいなあ、と、安心はしています。 ただ、注意したいのは、今の日本フィギュア、羽生選手が凄すぎて忘れがちですが、それ以外の選手は、メダル争いに名乗りすら出来ない状態です。 つまり、レベルが落ちている。 選手層は厚いとは言え、順位もさることながら、点数も伸び悩み。 こういった選手は皆、日本人コーチですが、コーチの実力もそうですが、選手の意識もこの成績につながっている、っていうのも、あるんじゃないかなあ、って思いますが… どうでしょう… まだ若いうちはいいかもしれませんが、壁に当たり、伸び悩む時期が必ず来るでしょうから、その時、コーチがどう導き、上へと伸ばせるか。 競技寿命の短いフィギュア・スケートにおいて、この瞬間のコーチの役割は、その後の選手生命を左右する、重要なものであるということは、その時期の対応に失敗した選手のその後の成績を見れば分かりますよね。 怖い話です。
チェンバロ再生は、難しい… 録音も…
本当は、『「好きな音」だけではすまない、原寸大のクラシック』とかのテーマで、記事にしようと思っていたんですが、実際録音してみると、そのあまりにも実際の音との違いに愕然としまして、これでは、「いいでしょう~」なんて感じで音源紹介できないと悟りまして、文字通り、「チェンバロ再生は難しい」という記事となりました… 基本的に、聴いていただいて、ああ~なるほど…、という風に思っていただくために私いつも自分の音を皆さんに聴いていただいてますので、自分が聞いた時点で、端から駄目だと思えるものは、アップしないんですが、でも、チェンバロ鳴らした音も聴いていただきたいし、でも、あまりにも実際の音と違うんじゃ、聞いていただく意味が無いし… でも、図らずも、このことで、改めて思うことが出来ました。 チェンバロ再生は、難しい。 特に、録音でそう感じましたね… 今までは、多少高域シャラシャラ、低音出てなくても、まあ、聴けましたよね? 脳内補正していただいて。笑 で、その上で、音の判断も出来たかと思いますが、チェンバロは、そうはいかない。 チェンバロはその脳内補正が効かない。 ご存知のように、ディナウディオS5.4のユニット配置は逆三角形。いくら聴感上、高音が浮いて、低音が下がるとはいえ、当然、そのままでは高域が下に停滞気味に鳴り、低音が上から降り注ぐ、ということになってしまいますから、何らかの対策はされているでしょう。例えば、どうも一番上のウーハーは逆相のような気がしたり、多分想像ですが、ネットワークで位相ずらしたりして、聴感上、ちゃんと一体に音が聴けるようにしているんだと思います。 ま、当たり前か、自作じゃあるまいしね。 実際、私がいつも録音する時のマイクの位置は、一番下にあるツイーターの位置ですが、そう思って、少し上の位置にしてずらしてみても、実際はそちらの方が高域が強調されたりしますし、もっと低音を拾おうと、上のウーハー付近にマイクを持っていっても、低音が録れるわけでもありませんでしたし。 で、今回もいつものマイク位置で録っては見たものの、案の定低音が録れていない。というより、低い音にいけばその低音は聴けますが、問題なのが、一音一音に明らかに低音成分が無い、ということ。 ペラペラ。 勿論今までもそうだったんですが、それでも聴けました。 でもチェンバロでは聴けない… 恐らく、チェンバロはその周波数帯域が狭いからなんだと思います。 音色の変化も少ないし、その構造上、演奏の表情の変化も付けにくい楽器ですしね。 だから、少しでも必要な成分が足らないと、もう、チェンバロとしては聴けなくなる。 許容範囲をすぐ超えちゃう。 だから思いました。 チェンバロ再生には、遊びが効かない。 再生側に許される音作りは、チェンバロに限っては、ほとんど残されていないんじゃないかって。 だから、個人的には、多分、ヴィンテージでチェンバロって、楽しめないのではないか思います。 だって、ヴィンテージの良さって、スッペクの劣る古い録音の音源を、デフォルメして、それこそ本物以上に聴かせることだから。 声や他の楽器ならそれで楽しめるだろうけど、細く、すぐ折れてしまう、鳥の羽の軸で作った爪で弦を引っ掻くことで出されるあの繊細な音を、声や他の大きい音が出る楽器と同じようにデフォルメしたらどうなるか。 勿論、だからこそ、ヴィンテージの価値って、あるがままの再生とは違うところにあるんですけどね。 チェンバロ再生にはまず、音の情報が欠落していなく、解像度か高いことが必要でしょうし、ユニットの帯域バランスがいいこと、位相が整っていること、なんかは最低条件のような気がします。 その上で、あのテンションのかかっていない軽いタッチ、それでいて撥弦鍵盤楽器としての芯のある音、ピアノとは違う一音一音が、標高の高い澄んだ夜空にきらめく無数の星のごとく、手に取るようにわかる、素朴で軽い、それでいて決してくすんではいない、気品ある華やかな響き… そういうの、出さなきゃ、チェンバロじゃないでしょ?笑 まあ、私の実際の音もなかなかそんなのは出せてませんが… で、今回マイク位置はいつもよりCD一枚分上げまして、距離も5、60センチスピーカーに近づけました。 スピーカーとの距離はやはり近い方が低音成分が拾えますし、高くしてスコーカーに近づけたお陰でしっかり下支えが出来、芯があり、はりのある、本来の音に近づきまして、その分高域に変なシャリシャリがやはり出ていたので、それは、再生ボリュームを上げ、録音レベルを下げることで解消しました。 ある一定のレベル以上で、マイクに高域がシャリシャリする癖があるようです。 で、そのチェンバロ演奏は、以前にもご紹介した、曽根麻矢子さんのバッハの「トッカータ」から1曲目、ニ長調 BWV912 です。 で、ジャケットにもありますように、このとき使った楽器がこれです。↓ ただこの楽器、フランス式ですから、クラヴサンですね。 私は、この楽器での彼女の演奏を聴いていますので、余計、こんなはずじゃない!って思うんだと思います。 実際の音はもっと美しいですし、楽器も、本当に素敵です。 再生時は、画質を最高の720pHDにしてください。 音質も良くなります。 つまり、聴けるレベルになるということですので、是非。 彼女の明るいバッハを聴くと、本当に幸せな気持ちになれます。 それは彼女がバッハを愛し、チェンバロが好きで好きで堪らないからなんだと思います。 で、音は… […]