Archive for March, 2012

また元気に、それまで・・・ 小澤&サイトウ・キネン 《ブラームス 交響曲第1番》 1990

大分前の話で恐縮ですが、3月7日に小澤征爾氏が来年2月末まで指揮を予定していた国内外の公演を全て降板し、体力回復のために1年間の休養をとると発表しましたね。 ご存知の通り、2010年に食道がんの治療をして以来、その後も腰痛や肺炎などで体調不良が続いていたそうで、ここ数年は公演のキャンセル続きでサイトウキネンでも相当苦しい中で指揮をされていたこととお察しします。 ただ、個人的には私は彼の音楽はあまり良いと思ったことはありません。嫌いではありません。その音楽だけ聴いていればこれでいいんじゃない?って感じますし、悪い演奏ではないです。ただ他の指揮者と比べるとどうしてもその毒のなさが耳についてしまって、ダメです・・ ヘタクソ、ベルリンフィルの記事でも書きましたが、恐らく彼は指揮者、音楽監督という職業、ポストを楽団当局、オケメンバーと良好な関係を持ってまっとうできる才能が認められて、今の地位にあると私は思っています。勿論彼はブザンソン国際指揮者コンクールで優勝していますし、現在でもそのバトンテクニックの上手さには定評がありますし、演奏も評価されています。ただ、ウィーンフィルの音楽監督するほどの音楽とも思えないし、やはり、その人柄、社交性、そこから来る楽員からの信頼、日本のメディアの効果等々、色々要因はあると思います。 話し変わりますが、ブザンソンといえば2011年大会で日本人が優勝しましたね。それについては何もないですが笑、まあ、コンクールって、指揮テクニックや間違い探しとかあまり音楽性とは直接は関係ないところでの点数が高い人が評価されがちですが、例えばブルックナーなんかたくさんの版があって、仕舞には指揮者が勝手に音符を書き換えるようなことが公然と行われる中で、何が間違い探しでしょう。笑 フルートの一音が半音下がっていたとしても、それを持ってその演奏が否定されるなんてことは、プロの現場ではありませんね。 それとこれは持論ですが、絶対音感、これがある人をさも才能ある音楽家、演奏家のごとく高く評価する傾向がありますが、私に言わせればあれは音楽家としては病気と言えるもので、障害となるべきものですね。だって、音って同じ音でも違った和音になれば違った意味を持ちます。同じソでも、ファから上がってきた場合と下のドから上がってきた場合では違った感じに聴こえます。それと逆でラから下がってきた場合ともっと上のドから下がってきた場合とではこれもまた違って聴こえるものです。そういうふうに音は例え一音でも無限の可能性がありますし、人間はそれを聴くことが出来ますし、そうやって音楽は出来ています。しかし、絶対音感はソならソとしか聴こえない。いえ、個人差はあるでしょう。そういう風にも聴くことが出来るという人もいるでしょう。でも強い絶対音感の持ち主は、音程がほんの少し狂った楽器でも気持ち悪くて演奏できないそうです。 一つのフレーズからたくさんの景色が見えてくる、イメージが無限に広がっていくような感覚を味わえる演奏って素晴らしいと思いますが、果たして、相対的に音を捉えにくいだろう絶対音感の人にこういった演奏が出来るのか、どうか・・ コンクールの間違い探しで、「なんか変だなと思ったけど、これも良いかなあと思ったんで・・」とか「探していたんですけど、あのフレーズもう少しこうしたいな、って気になってしまって、間違いは全然わかんなかったです・・」なんてと言う指揮者のほうが私にはよほど音楽家として将来を期待したいですけどね。笑 話戻しますが、小澤は、もう一線からは退いたほうが良いと思います。 ダラダラといつまでも慢心創痍の身を世間さらし、自らは喝采を浴び、一方ではキャンセルを繰り返し観客を裏切る。彼のやっていることは、そういうことです。プロとしてはやってはいけないことです。 話に聞くと、松本では小澤の活動は批判されているそうです。地元でチケットを買おうとしても東京で捌かれていて地元にはあまり回ってこないらしいです。詳しくは分からないですが・・ 一般ジャーナリズムが言うほどには我々日本の音楽ファンの間では小澤の評価は高くないです。それはレコード演奏がつまらないからですね。ヨーロッパでも例えばオペラの評価は低いです。だから、と言うことではないですが、元気なうちに、もっと後進の指導に専念すべきです。今夏の「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」は、総監督として参加するそうですが、もう、そういうポストに就いて口を出したりしないで、一切のポストから身を引き、何か違った形で音楽家を育てることに没頭して欲しいものです。が、まあ、彼はそういうタイプじゃないでしょうけどね。笑   ↑CDライナーより 今日聴く演奏は、1987年からの一連のヨーロッパツアーのうち、1990年ザルツブルク音楽祭に出演した直後に旧東ベルリンで録音されたもの。まだ、音楽祭の熱気が覚めやらぬといった感じの、気合いの入った演奏です。 リッピングドライブ:PHILIPS CDD3610/85 リッピングソフト:POIKOSOFT Easy CD-DA Extractor PC : Windows XP Pro Core 2 Quad Q6600 2.40GHz AVI作成ソフト:AVIMAKER FLVへのエンコーダソフト:MediaCoder 音声はMP3   【ブラームス/交響曲第1番ハ短調 作品68】 小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 1990年、8月、旧東ベルリン、シャウシュピールハウス 【収録】 1.第1楽章 Un poco sostenuto-Allegro 2.第2楽章 Andante sostenuto 3.第3楽章 Un poco allegretto e grazioso 4.第4楽章 Adagio-Piu andante-Allegro non troppo      […]

Tuesday, March 27th, 2012 

ミュンシュにはブラームスがよく似合う・・ ミュンシュ&パリ管《ブラームス交響曲第1番》

ミュンシュの演奏で外せない演奏・・ 皆さんそれぞれ色々おありかと思いますが、やはりこれはここで聴かなければならないでしょう。 パリ管とのブラームス交響曲第1番。 そう聴いて、なんだ今更そんなの・・ とお思いの方ごもっともです。済みません。 でも、やっぱりこれは、外せないんです… 何故なら、これは、1967年にパリ管最初の音楽監督に就任しての最初の一連の録音であると同時に、翌68年演奏旅行中11月に亡くなるミュンシュにとっての遺作と言えるものだからです。 それに、設立当初のパリ管は凄かった・・ なんせ、あのいい加減な・・ いえいえ、大らかなフランス人が自ら律するために、三つの原則を立てたんです!!!笑 当時、国とパリ市から財政を保証されて演奏活動を始めたパリ管が自ら科した原則、 一、音楽監督の権限は、オーケストラの全ての芸術活動に及ぶ。 一、職務管理機関は、楽員の技術的水準の維持と向上とを図る。 一、絶対的規則として、楽員はその仕事の重点をオーケストラに置く。 以上。 どうです?某ユニバーサルミュージックスタジオ・オーケストラ・イン・ベルリンの連中につめの垢でも飲ませたいですね。まったく・・ これほどの演奏家たちの集まりでも、音楽を芸術として維持していくには、それ相応の覚悟が必要だってことなんですね、犠牲なくして、芸術なんてないんです。まあ、自分のオケが来日している間に、室内楽やらソロリサイタル、はたまた高い授業料のレッスンを熱心にこなし、小銭かせぎに忙しい現代の演奏家連中には到底、まともな演奏は出来ません。以前、ベルリンフィルが来日した時、ベルリンフィルの木五のリサイタルがあったんです。木管五重奏。勿論期待していきましたが、全く期待はずれでしたね。ヘタでした。アンサンブルになっていませんでした。バラバラ・・ その時からですよ、オーボエのアルブレヒト・マイヤーが嫌いになったの。何故なら、もう演奏が雑で、これ見よがしな表現、大げさで自己陶酔型でKYな演奏。その日聴いた中で一曲たりとも良いと思った演奏はありませんでした。逆に、ベルリンフィルの木管連中はこんなもんかと。 済みません。興奮してしまいました・・ この演奏のほかに、この時期、ベルリオーズの「幻想」、ラヴェルの「ダフニス、ボレロ、スペイン狂詩曲」が録音されていますよね。全て、名演です。考えてみれば、ミュンシュの急逝後は、カラヤンが音楽顧問、その後はショルティが首席指揮者になっていますが、この辺は応急処置みたいなもので、あまりパリ管にとっての最善については考えていなかったと思います。以降は、バレンボイム、ビシュコフ、ドホナーニ、エッシェンバッハ、で現在はパーヴォ・ヤルヴィですが、こうしてみてみると個人的にはどうもパリ管の楽団当局は指揮者のスカウトがヘタだなと思います。何となくネームバリューのある人にしたいのは見え隠れするんだけど、何か中途半端ですし、フランスの音楽が上手い指揮者にしたいのかと思えばどうもそういうつもりもないらしいですしね。大体バレンボイムで失敗したと思いましたけどね。笑 全くパリ管とは水と油、あれではパリ管聞く意味がなかったです。で、もっと最悪がエッシェンバッハ。これは最悪でした。もうこの人、指揮者の才能ないです。音楽が硬い。響いていない。ピアニストやる指揮者にろくなのいないです。大体なんでフランスのオケにわざわざドイツ人を選ぶのか全く理解できませんね。日本のオケがドイツ人、フランス人の指揮者を起用するのとはわけが違います。ああいう演奏を何の疑問を持たず何年間も聴いて喜んでいるんですから、もうその頃から私は、フランス人の音楽的センスはヘン、だと感じていました。ヨーロッパ人だから音楽的センスがあると思ったら大間違いですよ。 済みません・・ また、話がずれてしまいました・・ ただ、レコードで聴けるような名演奏を、現代ではなかなか聴けないことを思うととても寂しくて・・ね これは現代演奏家、指揮者を含めたクラシック界に関わる全ての人間たちの罪ですよ。勿論、ダメな音楽に対してもそうとは分からず拍手を送っていた無知な聴衆も、です。大げさかもしれませんが、まあ、反省してもらいたいですね。責任者、出て来い!!って感じです。笑 今日聴く演奏には、これまで聴いた二つのベートーヴェン演奏における、直線的で、力ずくで、そのため単調になったり、雑になったり、と言うことがありません。ミュンシュがアプローチを変えたんでしょうか。そんなことありません。ミュンシュはこれまでどおり最初の一音からフィナーレまで一瞬の気も緩めず突き進んだ、そんな感じです。でもベートーヴェンに聴かれた何処かしら拙速な雑な感じがありません。何故でしょう。それは多分、曲が変わったからです・・ ベートーヴェンからブラームスに変わったからです。って当たり前じゃないかと思いますが、ミュンシュの持っている音楽的なエネルギーがベートーヴェンの時は速いテンポに集中しがちで、そのため力強く推進力に富んではいるものの、フレーズ処理が雑で拙速でそのため音楽が浅く聞こえるという面がありましたが、どうもブラームスの音楽はそういったアプローチを拒絶する音楽のようで、つまり、ベートーヴェンで外に向けられていたミュンシュのエネルギーが今度は内へ内へと志向し、それによって演奏上の様々なアゴーギクが、計算されたものではなく、ミュンシュのエネルギーの志向するままに動き出し、そのため音楽そのものがミュンシュのエネルギーの有り様そのものになる、そんな演奏に変わっています。乱暴に言えばミュンシュが力めば力むほど、よりブラームスが深くなる、と言ってもいいのかもしれません。ですから、そういう意味で、この演奏を聴いて、それほどミュンシュにはブラームスがよく似合う、そう思いました。 リッピングドライブ:PHILIPS CDD3610/85 リッピングソフト:POIKOSOFT Easy CD-DA Extractor PC : Windows XP Pro Core 2 Quad Q6600 2.40GHz AVI作成ソフト:AVIMAKER FLVへのエンコーダソフト:MediaCoder 音声はMP3 【ブラームス/交響曲第1番ハ短調 作品68】 シャルル・ミュンシュ(指揮) パリ管弦楽団 1968年1月8,12日、パリ、サル・ワグラム 【収録】 1.第1楽章 Un poco sostenuto-Allegro(呈示部反復無し)、2.第2楽章 Andante sostenuto、3.第3楽章 Un poco allegretto e grazioso、第4.4楽章 Adagio-Piu andante-Allegro non troppo […]

Tuesday, March 20th, 2012 

これは、クライバーより・・ ミュンシュ&フランス国立放送《ベートーヴェン交響曲第4番》1964ライブ

今日は、前回のCDとカップリングされていたもので、同じベートーヴェンで交響曲第4番。 こちらは1964年で、今度はストックホルムでの演奏会から。 ベートーヴェンの4番と言うとどうしても地味といいますか、って別に地味でもなんでもないんですが、イメージとして積極的に好き、と言う方は少ないのではないでしょうか。例えば、動画をアップしているニコニコ動画でも、7番の方は再生回数は100ですが、4番はまだ50です。ニコニコでの再生回数の動向を見ていると、ニコニコには、クラシックを聞き込んでいる人はあまりいないようです。まあ、本来こういうサイトは珍しい動画を探して楽しむものなので、私がやっているような音楽主体のものは、ニコニコの趣旨とはちょっと違うんですけどね・・     で、そんな4番は、シューマンが「2人の北欧の神話の巨人の間にはさまれたギリシアの乙女」のような曲と例えたそうで(2人の巨人とは3番と5番)、ギリシャの乙女がどんなものか俄かに分かりませんが、特に女性的な曲という感じはないのですが、ただ、前後2曲とは違って室内楽的な要素も多少あったり、ピアノから曲が始まったり、前後2曲との比較以上にベートーヴェンの交響曲の中でも暗めに始まるのはこの曲くらいではないでしょうか。1番も9番も暗いと言う感じではないですしね。ですから、個人的にはベートーヴェンの交響曲の中でも異質な印象を持っていましたが、それはなかなかいい演奏に出会わないということも原因でしょう。まず、出だしの静かな部分でだらけてしまい、もう数分間で気持ちが萎えてしまいます。いっつもそうです。笑 だから難しい曲なんだな、と思っていましたが・・・     ところが、今日聴くミュンシュは違っていました。これは良いです。冒頭萎えることもなく笑、一気に聴くことが出来ました。 交響曲第4番の最初で最大の聴き所はもちろん、第1楽章冒頭3分くらいからのppピアニッシモからffフォルテシモへの盛り上がり。実はここの処理がどうなのかによって、ff以降のテンポをどう設定するかなど、この曲に対する指揮者の姿勢が分かりますし、その出来如何でその演奏の成否が分かれるといってもいいでしょう。 ここを聴いただけでこの演奏が成功したんだと確信しました。 フルトヴェングラーも真っ青の、この分厚い音を聴いてください。 リッピングドライブ:PHILIPS CDD3610/85 リッピングソフト:POIKOSOFT Easy CD-DA Extractor PC : Windows XP Pro Core 2 Quad Q6600 2.40GHz AVI作成ソフト:AVIMAKER FLVへのエンコーダソフト:MediaCoder 音声はMP3 【ベートーヴェン/交響曲第4番変ロ長調 作品60】 シャルル・ミュンシュ(指揮) フランス国立放送管弦楽団 1964年8月25日、ストックホルム 【収録】 1.第1楽章 Adagio- Allegro vivace 2.第2楽章 Adagio 3.第3楽章 Allegro vivace 4.第4楽章 Allegro ma non troppo     何故、この演奏を素晴らしく感じ、これまでなかなか聴きづらかったこの曲を楽しく聴くことが出来たのか、考えました。恐らく、ミュンシュの特色である、作品を多少デフォルメして表現する手法が功を奏したのではないでしょうか。この4番は”ギリシアの乙女”なんて言われたりしますが、実は非常にリズミカルで強弱の激しいエネルギッシュな曲です。冷静に聴いてみれば、前後の3番、5番よりも激しい曲なのかもしれません。(ただ、何処となく他を寄せ付けない気品があるのも事実ですが。) ですから、この曲の場合、多少その辺りを大きく表現することで、この曲の特色がよりはっきりして、曲が持っている本来の魅力を鮮やかに感じることが出来たのかもしれません。 […]

Sunday, March 18th, 2012