【マーラー没後100年記念 第5弾、第6弾】 バルビローリとテンシュテットの「復活」

今日は、【マーラー没後100年記念 第5弾、第6弾】としまして、交響曲第2番復活をお聴きいただきます。

第5弾、第6弾と分けたのは、ニコニコ動画で分けて投稿しましたので、そのためです。
一緒に紹介するので、分けなくてもいいのですが、まあ、一応・・ です。
マーラーを聴いていただくということで、やはり音的にも良いものを選ぶことは、最初お話ししましたが、その関係で、今回ご紹介を見送ろうと思ったのが、最初にお聴きいただくジョン・バルビローリの演奏です。

実は復活のCD手元に1枚もなくて今回のために取り寄せたものです。
ワルター、クレンペラーはどこ行ったんでしょう・・・
で、最初聴いて、「しまった!!」  モノでした・・
やっぱりマーラーは普通にステレオの方が良いですので、ちょっと失敗。1965年録音なのに何故・・
そんな感じで聞いていましたので、第1楽章終わって悪くないけど地味だなあ・・と言うことで聴くのやめて別のCDを物色していて、そこでその存在を知ったのがテンシュテット・北ドイツ放送響の演奏、と言うわけです。
テンシュテットの方は噂にたがわずの復活らしい熱く、テンションの高い演奏でなかなかでしたが、個人的には、テンシュテット、北ドイツ放送響の意外なほどに熱い演奏に驚きはしたものの、ある程度想定内の演奏でしたね。
一方バルビローリですが、全曲聴いたところ、これがなかなかじゃないですか!!
何と言うのでしょう・・ 深い感動に包まれるとはこういうことなんですね。
うぉー!というようなものではなく、じうぁ~と来る感動です。
恐らくこれは、全曲通して聴いていただかないと分からないかもしれませんね。
しかしながら、このブログにアップすると言うことはその前にニコニコ動画に投稿することですので、そこでの反応をある程度気にしてはいます笑。
ですから、マーラーに関してはある程度大衆迎合的な選択をするつもりではありましたので、復活はテンシュテットに決め、バルビローリは個人的名演ということで収めておくことにしました。

なのに何故アップしているのか?!

折角なので、良い演奏は分かち合おうと思いまして笑。

それに、モノラル録音といっても、自由ベルリン放送協会の正規録音のためか、音は良いですし、リッピングの結果悪くなかったですし、ニコニコ動画にも「復活」として最初に投稿しました。(同じ曲で演奏違いの場合、最初に投稿したものが個人的一押し品です)
お聴きください。

リッピングドライブ:PHILIPS CDD3610/85
リッピングソフト:POIKOSOFT Easy CD-DA Extractor
PC : Windows XP Pro Core 2 Quad Q6600 2.40GHz
AVI作成ソフト:AVIMAKER
FLVへのエンコーダソフト:MediaCoder
音声はMP3です。

【マーラー/交響曲第2番ハ短調作品73】
マリア・シュターダー(ソプラノ)、ジャネット・ベイカー(メゾソプラノ)、ベルリン聖ヘドヴィヒ大聖堂合唱団, ジョン・バルビローリ指揮、べルリン・フィルハーモニー管弦楽団、1965年ベルリン、フィルハーモニーにて自由ベルリン放送協会録音、TESTAMENT 英盤
第1楽章 Allegro Maestoso

第2楽章 Andante Moderato
第3楽章 In Sehr Ruhig Fliessender Bewegung 11:02~ 
第4楽章 Urlicht,Sehr feierlich,aber schlicht 22:28~
第5楽章 Im Tempo des Schrzo. 28:03~

【マーラー/交響曲第2番ハ短調作品73】
エディット・マティス(S)、ドリス・ゾッフェル(Ms)、 北ドイツ放送合唱団、リアス室内合唱団、クラウス・テンシュテット指揮、北ドイツ放送交響楽団、1980年ハンブルク、ミュージックホールにてライブ録音
第1楽章

第2楽章 Andante Moderato
第3楽章 In Sehr Ruhig Fliessender Bewegung 11:02~
第4楽章 Urlicht,Sehr feierlich,aber schlicht 21:49~
第5楽章 Im Tempo des Schrzo. 28:07~

いかがでしたでしょうか?
まあ、テンシュテットの方は、間違いのなく楽しめる演奏でしたね。
この1枚持っていれば、とりあえず「復活」は良いかな、と。
バルビローリはどうでしたでしょうか。
これは、マーラーの「復活」としては、実はなかなかの名演なのではないでしょうか。
マーラーの交響曲の中でも、復活はとてもポップな曲で、曲中サビのような箇所がいくつもあって、そこを華やかにビシッと決めてくれると人気が出やすいんですが、バルビローリの演奏は、そういうところがほとんどないです。
演奏は常にフラット(平ら)で、その精神は常にフラット(b)で、エネルギーを内に内に凝縮していく中で、何ともいえない重く鈍い緊張感の中で演奏が行われています。
それがバルビローリの唸り声とともに崩れてくるのが、最終楽章33:22辺りからで、35:32からのクレッシェンドで35:42に頂点を結んだ瞬間、扉は開かれた、そんな感じです。
その時、初めて、これまでの楽章の何ともいえない重苦しさの意味が分かるんですね。
曲調が変わったこともあるでしょうが、この辺りから明らかにベルリンフィルの音色は明るくなり、演奏が外へ外へと積極的に志向してるのが分かりますね。
結局、バルビローリはフィナーレまで決して急がずあわてず、大概のマーラー演奏に見られるように奇をてらったりしませんでした。
そして、そこから見えてくるもの、それは、このマーラーの「復活」が紛れもなく交響曲であった、ということです。
私は、前回の4番の時に、
「ここまでマーラー聴いてみて思うのは、マーラーの書く音符(誤解を覚悟で言えば音楽)にはそれほどの深みはないんですね。そのため、ただ譜面どおり演奏しても音楽にならない。
アイデアはたくさんあるけど、それを音符に表す作曲家としては未熟だったんだと思います。
だから、指揮者はじめ演奏家がマーラーの書く音符に自ら命を与えて、想像力を膨らませ、物語を造って行く作業が必要になるんです。
与えられた様式を守っていれば一応音楽になるかも、といったものではないんですね。」
と書きました。
しかし、バルビローリのこの演奏に彼なりの何か物語を聴くことができましたでしょうか?何か、彼のこの曲にこめた感情の起伏を感じ取ることが出来ましたでしょうか。
私にはどちらも感じることは出来ませんでした。
勿論、全くないなんてありえませんが、少なくともそういった要素を基準にして音楽を作ってはいないでしょうね。
そこにはただ、アレグロ・マエストーソの音楽があり、アンダンテ・モデラートの音楽があり、スケルツォの音楽があります。そして最後に独唱、合唱により復活の詩が歌われ、感動のうちに終曲を迎える。
何故感動するのか。
それは、マーラーの書いた曲が素晴らしいからです。

マーラーは譜面に細かく言葉で指示を書いていますが、そういったものに惑わされず笑、実は音符をしっかり読めばおのずと彼の音楽は見えてくるんでしょうね。
それを証明してくれたのが、バルビローリのこの演奏だと思います。
まあ、個人的にはマーラーは音符以外の「言葉」を書きすぎだと思います。笑
言葉ではなく、そういう効果がほしければそういう風になるように音符を書きなさい!だいたい、曲が長すぎる、言いたいことは整理してから言いなさい!と、ラヴェル先生でしたら言うでしょうね笑。

それにしても、バルビローリのこの演奏を可能にしたのは、やはりベルリン・フィルの技量あってのことだと思います。
1965年というと既にカラヤンが音楽監督を務めていたはずですが、この演奏はカラヤンとの演奏とは違って自由でラフな感じがします。演奏に力みがなくバルビローリの求める音楽に集中してる感じが良く分かりますね。
35:42に扉が開かれ、演奏が徐々に熱を帯びてきて、
60:41からのこのクレッシェンド・・・
そして
60:50
バルビローリとベルリンフィルが曲中、唯一力んだこの日最高の頂点。
この瞬間のために、この日の演奏があったとさえ思います。

皆さんは、どちらの演奏がお好みでしょうね。

 

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