【マーラー没後100年記念 第4弾】 シャイーの4番 ~ケーゲルと聴き比べ

今日は、【マーラー没後100年記念 第3弾】 ということで、交響曲第4番をお聴きいただきます。
演奏は、リッカルド・シャイー指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、バーバラ・ボニーのソプラノです。
マーラーの方少し遅くなってしまいました。
実はあれから、当初予定のCDが届いて聴いたんですが、届いたCDが個人的にはありえない演奏でiいくらなんでも私の責任でご紹介できないと思い、急遽別の演奏を探しておりまして、今日お聴きいただくことになった次第です。
その個人的にはありえない演奏と言うのが、副題にありますヘルベルト・ケーゲルのものです。
ヘルベルト・ケーゲル指揮、ライプティヒ放送交響楽団、セレスティーナ・カサピエトラ(ソプラノ)
正直、最初の10秒で、これはいかん、と思いました・・
何といえばよいのでしょう・・。(いつもこちらに来ていただいている方はお分かりかと思いますが、私、文章が下手で、全く表現力が無いんですよね。笑)
まだ、人様に聴かせる段階まで演奏ができていないという感じでしょうか。
まず、冒頭の刻みが重い。10秒すぎの弦のリタルダンドが硬く不自然、36秒あたりのホルンの2音の処理が音を置いてしまっているので、音楽がそこで止まってしまっている・・
つまりアゴーギク、ディナーミクが音楽に貢献していないんですよね・・
マーラーの音楽、特に4番は第4楽章に象徴されるように、この世のものではない何かフワフワした中に、室内楽的要素を駆使していろんな場面変化、感情変化が繰り返されるわけですが、ケーゲルの演奏にはそれが感じられないんです。いろんなタイプの演奏があって良いと思いますが、少なくともこの4番はそれを表現しなければ、曲が成り立たないと思います。でないと、第4楽章の存在が薄れるんですね。何のための第4楽章か。
一方、シャイーは思いのほか良かったです。
まあ、ケーゲルを聴いた後だったので余計にそう思ったのかもしれませんが・・
一聴、「あー、やはりメジャーに残る人は違う」、そう思いました。音楽が呼吸しています。
シャイーは、この曲を一つのおとぎ話のように扱っていて、第1楽章はその物語の「はじまり、はじまり~」ですね。笑 さて、これからおじさんがお話しするのはね・・・ みたいな感じでしょうか。
第1楽章の最後全奏される2音で分かりますね。
チャン♪チャン♪、って感じで。
とにかく、聴いていただいた方が良いと思います。
私が何といおうと、これは私の主観でしかありませんのでね。
リッピングドライブ:PHILIPS CDD3610/85
リッピングソフト:POIKOSOFT Easy CD-DA Extractor
PC : Windows XP Pro Core 2 Quad Q6600 2.40GHz
AVI作成ソフト:AVIMAKER
FLVへのエンコーダソフト:MediaCoder
音声はMP3です。
【マーラー/交響曲第4番ト長調】
リッカルド・シャイー指揮,ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、アレクサンダー・ダーケル(Vn.Solo)、バーバラ・ボニー(Sp)、1999年アムステルダム、コンセルトヘボウにてDECCA録音
第2楽章18:13~、第3楽章27:53~、第4楽章48:32~

ヘルベルト・ケーゲル指揮、ライプティヒ放送交響楽団、セレスティーナ・カサピエトラ(ソプラノ)1976年ライプティヒ、パウル・ゲルハルト教会Deutsche Schallplatten録音
第2楽章17:04~、第3楽章26:22~、第4楽章47:31~

いかがでしたか?
私はケーゲルのこの演奏をタイプの違うマーラーと擁護しません。
第3楽章まで聴いてげんなりして、第4楽章でソプラノを聴いて一瞬ほっとしたんですが、このソプラノがまたヘタで・・・  ま、仕方ないです。ソプラノのセレスティーナ・カサピエトラ、この人ケーゲルの奥さんだそうですから。何故、身内を選ぶんでしょうね。自分のマーラーにはこの人と、思ったんでしょうかね??
だいたい、子どもが天上の歌を歌うのに、この声質は合わないでしょう???
よく分かりません・・・
ケーゲルの演奏は、一地方都市で2000~4000円位の演奏会で、生でマーラーを聴いた、と言うことで満足するくらいの演奏だと思います。(あくまで、私的にはですよ。)
本CDにある解説によりますと、ケーゲルは、東ドイツ政府にもこのレーベルであるドイツ・シャルプラッテンにも、大衆にもそれほど高く評価されなかったようです。
政治的な発言や東ドイツ批判も多く、政府から睨まれていたそうですが、東西の壁がなくなって、彼は自殺したそうです。西側の新聞には「怒りの拳を当てる台がなくなった不幸」で自殺したと書かれたようです。
私はこのマーラーしか聴いていないのであまりいえませんが、この演奏を聴く限りにおいては、そういった評価は政治的発言の多さによるものだけではないように思います。
ご本人には色々おありだったと思いますが、作曲家になれない身としては、音楽家であれば、音楽できる喜びを忘れず、音楽に身を捧げてほしいと思いました・・
ところで、
シャイー、良いですね!!で、コンセルトヘボウの音色が、シャイーの求める音楽に合っています。
正直、私ほとんどシャイーを聴いてきませんでしたが、こんなにセンスがあるとは・・ やはり音楽は、聴いてナンボですね。
最初にも言いましたが、彼の演奏は呼吸をしています。
音符と音符の間に酸素がいっぱい、って感じで、実に気持ちが良いです。
音的にはコンセルトヘボウの残響が心地よく、奇をてらわない自然で、且つ包み込んでくれるこの録音のよさを感じられるか、ですね。
第2楽章に結構低い音が収録されています。皆さんの装置ではどうですか?
このコンビでマーラー全集あるようなので聴いてみたいです。
ここまでマーラー聴いてみて思うのは、マーラーの書く音符(誤解を覚悟で言えば音楽)にはそれほどの深みはないんですね。
そのため、ただ譜面どおり演奏しても音楽にならない。
アイデアはたくさんあるけど、それを音符に表す作曲家としては未熟だったんだと思います。
だから、指揮者はじめ演奏家がマーラーの書く音符に自ら命を与えて、想像力を膨らませ、物語を造って行く作業が必要になるんです。
与えられた様式を守っていれば一応音楽になるかも、といったものではないんですね。
それを出来なかったのが、ケーゲル・・
その才能に恵まれたのが、シャイー・・
そんな感じかな ・ ・ ・ 

 

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