Archive for July 10th, 2015

浅田真央の表現力??? って何それ…

Yahoo知恵袋に、こんな質問があった。 一年前とかの古い質問なら気にしなかったんですが、日付は2015/7/1と、最近なので気になって答えを見てみると、これ。   バカか…   意図的な表現って、   表現するとは、常に意図的なものであって、それを如何に観客や審判に伝えることが出来るのかが問われるのであって、だからこそ、芸術に限らず、スポーツの分野でもこういった採点競技の選手たちは、死に物狂いで、この、作品を「表現する」ことに心血注いでいるというのに…   もう一つ、   基本的に、浅田選手は、フィギュアスケーターの中でも、特段表現力ある選手ではなく、むしろ普通、というか苦手というか、あまりセンスのある方ではないと思います。 ただ、彼女は一生懸命練習しますから、振り付けや曲が、優雅でしなやかなものであれば、そういう風に練習した成果を、本番で出せる能力、スケート技術は持っています。 でもね、表現するって、それとは別、或いは、その先の話。 表現する力って、与えられた曲、振り付けが、自分にないものであっても、その曲や振り付けの世界、意図を理解し、それを自分の心に透過させて、身体の動きに変えてゆく。 見ている人にそれと、分かるように。   この一連の流れがスムーズだと、たとえ、スケート技術が劣っていたとしても、その演技は見ていて非常に美しく、気持ちがいいものですが、浅田選手の場合、その曲や振り付けの世界、意図を理解することが出来ても、それを自分の心に透過させて、身体の動きに変えてゆく、作業に難がありますね。 ここは身体的な訓練ではどうにもならないでしょう。   表現するセンス、って、こういうことだと思いますよ。   で、バンクーバーの「鐘」はどうなのかというと、演技はやはり素晴らしいものでした。 ただ、曲調と振り付けの世界観が、あの時置かれていた彼女の環境、練習環境とか3Aとか、色んな中で、黙々とやっていたその頃の彼女の精神に、非常にあっていたんだと思います。 だからこそ、ラフマニノフが「鐘」に込めた、怒りのような、何かを、見るほうも自然と感じることが出来たのではないでしょうか。   答えには、こういうのもありました。   これが正常な人の、反応です。   浅田選手の不幸は、上2つの回答者のような、ファン?? がいることかもしれない、って、つくづく思いました…      

Friday, July 10th, 2015