Archive for the '聖子' Category

80年代だけが聖子じゃない…

まあ、聖子のファンでも、80年代しか語らないファンもいますからね、一般の人はなおさらでしょうが、勿論、今年35周年を迎えた松田聖子にとって、デビューしてからのあの80年代の5年間は、もうほんの一瞬です。 35分の5。 当たり前ですね。 ですから、実は、本当の松田聖子の姿は、この後の30年間にありますし、それは同時に、そのデビューしてからの5年間を否定する過程でもあったと思っています。 まあ、ここ数年は、やっと、この頃のアルバムにいい曲があるね、と言って、ステージでアコースティックな編曲で、歌ったりしていますけど。笑   そんなもんなんですよ。笑   私も、聖子の最近の歌を聴くようになって、80年代のこの頃の曲はほとんど聴かなくなりました。   “35分の30” にある、たくさんの聖子の曲。 そこには本当の日本の歌手、松田聖子の姿があります。   前記事で引用させていただいたSACDの演奏のブログ主の方、もうお分かりでしょうが、その方にブログコメントで、SACDって音悪いと思いますが? とコメントさせていただいたんですが笑、その方、そんなファンでもなくて、一女性シンガーとして聖子を見ていますので、とおっしゃっていましたが、であれば、35年のうちの最初の5年間に拘らず、もっと色々聴いていただきたいですね。笑 まさか、あの5年間だけの聖子をして、女性シンガーって思うんでしょうかね…   私はあの頃の聖子は、シンガーとか歌手とかと言うより、当時のソニーが作り上げた新しいアイドルポップ作品のための高度な道具の一つであったんだと思います。   今日聴いていただくのは前にもアップした曲「涙がただこぼれるだけ」ですが、これは、35年の歌手人生の中で、「あなたに逢いたくて」と並んで、歌手、松田聖子の代表曲だと思っています。   デビューから5年間のあの曲たちは、あれは聖子の、と言うより、ソニーのジャパニーズ・ポップ、”松田聖子”というジャンルを作り上げた、ソニーの代表作でしょうね。   で、今日は改めてCDをリッピングしましたのでその16bit/44.1KHz WAV を聴いていただき、次に、前回と同じようにmoraで販売のハイレゾ24bit/96KHz Flacを24bit/48KHzにダウンコンバートし、CD-Rに焼き、24bit/48KHzで再生したものの動画を見ていただきます。 そして最後に、何かの番組で、聖子がこの曲を多分オリジナルと同じアレンジでしっかり歌ったものありますので、それを聴いてください。   本当は、CD演奏を再生したのを同じように動画録って比べれば分かりやすいのでしょうが、それじゃ、つまらないので、16bit/44.1KHzの音をしっかり確認していただき、それがハイレゾで私のとこで再生するとどうなるのか、そして、実際聖子が生で歌うとどうなのか、段々と、聖子自身に近づいていく、そんなのを感じてもらえると嬉しいんですけどね。 そして、逆に聴いていくと、段々聖子から離れていく感覚があります。   CDの限界、16bit/44.1KHzの限界を感じますね。       涙がただこぼれるだけ 投稿者 Jetvane   私は、この曲が歌われた頃の聖子を生で聴いていませんし、この曲のレコーディングにも立ち会っていませんし、実際どう、聖子が歌ったのか知る由もありませんが、CDやハイレゾファイル、そして実際歌っている動画とか、他のたくさんの曲、動画を、繰り返し見る中で、彼女はきっとこの時、こんな感じで歌ったんではないのかな… って、思ったりします。   で、そんな思いと、再生音が一致した時、本当にオーディオやってて良かったって、思えるんですよ。   それがオーディオであり、それが「誰も聴いたことのない、聴くことのできない、唯一の音を想像し、思いを廻らす」ことなんだと思います。   そんな気持ちで、日頃、愛する音楽、愛するアーティストと接していれば、SACDを選ぶなどと言うことは、絶対ないと、思いますけどね。      

Monday, September 14th, 2015 

駄耳集団 ?!の “STEREO SOUND”よ、今すぐ聖子SACDをやめろ !!

1ビットは音楽を駄目にするっていう話は、ことあるごとにしてきましたから詳しいことはもう書きませんし、そんなもん、聴けば分かる話なんでね、もういいでしょう。 でも、音ほど、人によって捉え方が違うものもないわけで、だからこそ、音は比べて、聴き比べて判断しなければならないんですよ。 SACDだけ聴いて、良いの悪いのは、言えないんですよ。 で、これまた、厄介なことに、その音を良いと言う時の、その人が言う「良い音」って言うのが、本当に違っているんで、これ、もう本当に、会話が出来ないんですよ。 だから、人それぞれ… じゃあ、絶対ないですからね。 録音された音は、一種類しかないんですからね。 そこんとこ、よーく考えてください。   誰も聴いたことのない、聴くことのできない、唯一の音。   だからこそ、想像し、思いを廻らすしかない、唯一の音。   この唯一の音を、想像し、思いを廻らす、本当は、そういった作業からでしか、オーディオって、始まらないんだと思うんですけどね。 だから、前も言ったように、オーディオって、もしかしたら、音出す前に、既に、終わってたりするんですよ、実は。   だから、オーディオで再生した音だけで、良いの悪いのって判断するようなのって言うのは、もうその人の音って、少なくとも、私が語るオーディオの音ではないでしょうね。   で、そういった、 “誰も聴いたことのない、聴くことのできない、唯一の音”   “だからこそ、想像し、思いを廻らすしかない、唯一の音”   想像し、思いを廻らす、そういった作業からでしか、何も始められない、オーディオにとって大事な、唯一の音を、殺してしまったのが、SACD、1ビットですよ。   皆さんは、聖子のファンではないので分からない、知らないかもしれませんが、聖子の歌で、何が凄いかと言えば、彼女の細やかなニュアンスなんですよ。 ニュアンス唱法。 ぶりっ子唱法とも言っていいと思いますが、歌詞に応じて、本当に声の色や強弱、歌い方が変わっていくんですよ。   だから、それをちゃんと再生できなければ、聖子を聴いたことにならないんですよ。   ところが、聖子の命であるこの”ニュアンス”を、根こそぎなくしちゃったのが、SACDですよ。   次の動画は、STEREO SOUNDのSACDを再生したものです。 その次は、私の音ですが、ソニーが運営している「mora」で聖子の24bit/96KHz FLAC ファイルを購入し、それを24bit/48KHzにダウンコンバートし、CD-Rにデータとして焼き、24bit/48KHzで再生しましたものです。 私のDAC、48KHzまでなので、仕方なくです。 まあ、聞き比べて下さい。 どこがどう違うなんてのは言いません。 パッと聴いて、嗚呼!!! ってならなきゃ、説明しても違いは、一生、分からないと思うからです。 ただ、聴き方としては、まず、ボリュームを合わせ、一節ごとに、2つ聞き比べると、一目瞭然、一聴瞭然です。 ボリュームは、私のほうが低く録音してありますので、私の方を高く、SACDの方を低く設定してください。   曲は、「夏の扉」 まずSACD。   私の24bit/96KHz FLAC → 24bit/48KHz FLAC   […]

Sunday, September 13th, 2015 

浅田ファンに似た、聖子ファンのエリート意識

思い出しましたね… あの鼻に付く感じ。 本人たちは気づいていないだろけど… 聖子ファンが発する、エリート意識臭。   青春のあの頃感じた、聖子にまとわり付く人間たちの、この、何と言うんだろう、力あるものに縋って、あたかもそれが自分の力だと錯覚しているような…   嫌だね… これって、私が一番嫌いな感じ…   確かに、聖子は、歌は上手い、かわいい、曲もいいものばかり。 どう考えたって、デビューして5年間くらいのシングル出す曲全て、ヒット曲。 全てですよ。 1980年の「風は秋色」から1988年の「旅立ちはフリージア」まで24曲連続でオリコンシングルチャート(週間)1位。 多分、聞けば全て、皆さん、どっかで聞いたことあると、思うはず。 全て。 こんな歌手、聖子以外他に誰もいません。 全てがトップ。   聖子は、デビューした時から、特別扱いされてきました。 聖子を発掘したソニーのプロデューサーが聖子の才能を活かすべく、これまでアイドル歌手では出来なかったことを、やった。 彼女に歌わせる曲は、当時も今でも、売れっ子作詞家、作曲家の書いた曲。 アイドルには書くことはなかったはずの、ニューミュージック系の作家が彼女の曲を書いている。 他のアイドルなんか、こういった人たちからの曲なんか、歌わせてもらってないです。   で、聖子が凄いのは、こういった曲、難しい曲を、レコーディング当日に渡され、その場で歌い切れてしまうこと。 睡眠時間数時間の中の合間を縫って、3ヶ月に1枚のペースのレコーディングで、この難しい曲を、今私たちが聴いているあの音楽にしちゃっているわけだからね… 他のアイドルにも同じ曲を歌わせてみれば、多分、それなりに売れたと思う。 でも、聖子のような、声、曲に対する直感的な理解、そこから来る豊かなニュアンス表現、レコーディングをこなしていける音楽的才能、ルックス、振り付けに対する直感的な理解、とその表現の上手さ…. なんかよく分からないけど、そういったものがなければ、たとえ、他のアイドルたちに、聖子と同じ曲を歌わせていても、同じ結果には恐らくならなかったでしょう。 やっぱり、聖子だから、ですよ。 ただ、もし、聖子に他のアイドルと同じような平凡な曲を与えていたら、特別扱いしないで他のアイドルと同じように売り出していたら、今の、松田聖子はなかったでしょうね。 もちろん、歌は上手いし、かわいいので、一番売れたかもしれませんが、今の地位は、築けていないでしょう。 もしかしたら、早々に、引退していたかもしれませんね。     ですから、”松田聖子”といっても、所詮、オトナたちが、他のアイドルとは違って、特別に作り上げた、お膳の上で、初めて存在できたわけで、何も、聖子自身の力だけではないのですが、聖子自身もそれは分かっているんですが、どうも、どうしても本人にまとわり付く、ファン、というのは、全ては聖子の力によるもの、って言うのを、聖子を語る上での大前提にしちゃってて、近寄りがたいというか、キモイというか、勘違いも甚だしいとは、こういうこと、というか。 で、もっとたちが悪いのは、この特別な歌手である松田聖子のファンである自分たちも特別な存在であって、あたかも、選ばれし存在であるかのような、感覚に陥っているかのような、ふしがあるということ。 こういうのって、浅田選手のファンにも感じたとこで、才能もあり、実績もあり、人気もありと、世の中が認めた人物、ある意味その分野のエリートですが、それに引っ付くことで、自分もエリートにでもなったかのような、ね。笑 そういう冷静さを欠いた、ファン心理。 鼻に付く、エリート意識。 エリート意識臭。 もう、臭いだよね。笑 スポーツ選手と違って、ファンとしての期間が長い分、浅田選手のファンより、強烈、というか排他的かな。笑 どうして、ファンって、そんなふうに、なっちゃうんでしょうね…笑   例えば、詩。 聖子の曲の詩の世界、なんてことを語るブログがあったり、ね。別に、聖子が書いたわけじゃあるまいし。笑 確かに松本隆の書いた詩は、情景が浮かび、詩だけでも楽しめるもので、ファンは、聖子の曲は、そういう曲しか聴いていないので、聖子の曲は、詩もいい、そういう曲って、決めてかかっているので、ここ数年、聖子自身で書いた詩について、やたらと反応しているんですよね。笑 聖子の曲は、詩も良くなきゃ駄目、見たいな。笑 あのねぇ~、80年代のあの頃が特別であって、いつまで夢見てんだ? って思いますね。   聖子を知ろうとすると、どうしてもこういう、聖子にまとわり付くファンにも接近することになって、そうすると、聖子にも近寄るのが嫌になったりね、してしまうんだけど、それでは青春のあの頃、聖子ファンにならなかったのの、繰り返しなので、聖子は聖子。ファンとは関係なく、存在するわけなので、私は私なりに、彼女と接し、応援していこうとは思います。   […]

Sunday, July 19th, 2015