浅田ファンに似た、聖子ファンのエリート意識

思い出しましたね…

あの鼻に付く感じ。

本人たちは気づいていないだろけど…

聖子ファンが発する、エリート意識臭。

 

青春のあの頃感じた、聖子にまとわり付く人間たちの、この、何と言うんだろう、力あるものに縋って、あたかもそれが自分の力だと錯覚しているような…

 
嫌だね…

これって、私が一番嫌いな感じ…

 

確かに、聖子は、歌は上手い、かわいい、曲もいいものばかり。
どう考えたって、デビューして5年間くらいのシングル出す曲全て、ヒット曲。
全てですよ。

1980年の「風は秋色」から1988年の「旅立ちはフリージア」まで24曲連続でオリコンシングルチャート(週間)1位。

多分、聞けば全て、皆さん、どっかで聞いたことあると、思うはず。

全て。

こんな歌手、聖子以外他に誰もいません。

全てがトップ。

 

聖子は、デビューした時から、特別扱いされてきました。
聖子を発掘したソニーのプロデューサーが聖子の才能を活かすべく、これまでアイドル歌手では出来なかったことを、やった。

彼女に歌わせる曲は、当時も今でも、売れっ子作詞家、作曲家の書いた曲。
アイドルには書くことはなかったはずの、ニューミュージック系の作家が彼女の曲を書いている。

他のアイドルなんか、こういった人たちからの曲なんか、歌わせてもらってないです。

 
で、聖子が凄いのは、こういった曲、難しい曲を、レコーディング当日に渡され、その場で歌い切れてしまうこと。
睡眠時間数時間の中の合間を縫って、3ヶ月に1枚のペースのレコーディングで、この難しい曲を、今私たちが聴いているあの音楽にしちゃっているわけだからね…

他のアイドルにも同じ曲を歌わせてみれば、多分、それなりに売れたと思う。

でも、聖子のような、声、曲に対する直感的な理解、そこから来る豊かなニュアンス表現、レコーディングをこなしていける音楽的才能、ルックス、振り付けに対する直感的な理解、とその表現の上手さ….

なんかよく分からないけど、そういったものがなければ、たとえ、他のアイドルたちに、聖子と同じ曲を歌わせていても、同じ結果には恐らくならなかったでしょう。

やっぱり、聖子だから、ですよ。

ただ、もし、聖子に他のアイドルと同じような平凡な曲を与えていたら、特別扱いしないで他のアイドルと同じように売り出していたら、今の、松田聖子はなかったでしょうね。
もちろん、歌は上手いし、かわいいので、一番売れたかもしれませんが、今の地位は、築けていないでしょう。

もしかしたら、早々に、引退していたかもしれませんね。

 

 
ですから、”松田聖子”といっても、所詮、オトナたちが、他のアイドルとは違って、特別に作り上げた、お膳の上で、初めて存在できたわけで、何も、聖子自身の力だけではないのですが、聖子自身もそれは分かっているんですが、どうも、どうしても本人にまとわり付く、ファン、というのは、全ては聖子の力によるもの、って言うのを、聖子を語る上での大前提にしちゃってて、近寄りがたいというか、キモイというか、勘違いも甚だしいとは、こういうこと、というか。

で、もっとたちが悪いのは、この特別な歌手である松田聖子のファンである自分たちも特別な存在であって、あたかも、選ばれし存在であるかのような、感覚に陥っているかのような、ふしがあるということ。

こういうのって、浅田選手のファンにも感じたとこで、才能もあり、実績もあり、人気もありと、世の中が認めた人物、ある意味その分野のエリートですが、それに引っ付くことで、自分もエリートにでもなったかのような、ね。笑
そういう冷静さを欠いた、ファン心理。

鼻に付く、エリート意識。

エリート意識臭。

もう、臭いだよね。笑

スポーツ選手と違って、ファンとしての期間が長い分、浅田選手のファンより、強烈、というか排他的かな。笑
どうして、ファンって、そんなふうに、なっちゃうんでしょうね…笑

 
例えば、詩。

聖子の曲の詩の世界、なんてことを語るブログがあったり、ね。別に、聖子が書いたわけじゃあるまいし。笑

確かに松本隆の書いた詩は、情景が浮かび、詩だけでも楽しめるもので、ファンは、聖子の曲は、そういう曲しか聴いていないので、聖子の曲は、詩もいい、そういう曲って、決めてかかっているので、ここ数年、聖子自身で書いた詩について、やたらと反応しているんですよね。笑

聖子の曲は、詩も良くなきゃ駄目、見たいな。笑

あのねぇ~、80年代のあの頃が特別であって、いつまで夢見てんだ? って思いますね。

 

聖子を知ろうとすると、どうしてもこういう、聖子にまとわり付くファンにも接近することになって、そうすると、聖子にも近寄るのが嫌になったりね、してしまうんだけど、それでは青春のあの頃、聖子ファンにならなかったのの、繰り返しなので、聖子は聖子。ファンとは関係なく、存在するわけなので、私は私なりに、彼女と接し、応援していこうとは思います。

 

30代前半の頃、アメリカにまた出ようとしていた頃、のビデオのなかで、彼女が話しているのを見ると分かりますが、彼女は一度、あの80年代の自分を捨てています。
プロモーションビデオの中で、何故、日本人ダンサーや日本人のスタッフとやらないのか、という問いに、
 

“日本人だと、私を一人の人間としてみてくれない。
あの、松田聖子だ、としか見ない。
でも、外国人であれば、私を知らないから、人間として接してくれる。”
 

そう、答えています。

彼女、31歳の頃。

実際、この頃のプロモーションビデオや彼女のステージでは、やたらと、外国人ダンサーと、これでもか、これでもかというくらい絡みまくっています。
この頃、或いはこの少し前から、彼女のへアースタイルや衣装、メイクが派手で奇抜なものになっていったのは、勿論彼女の志向がそうだったからというのもありますが、その時彼女に付いていたヘアーリスト、スタイリストの影響が大きかったようです。
変わろうとしていた彼女を後押ししてたのは、彼らだったようです。

彼女は今までの自分を捨て、新しい自分を模索していたんでしょう。

で、その結果が、外国人ダンサーとの絡みってになって現れていたんだと思いますが、でも、あの行為は、明らかにこれまでの80年代の彼女に熱狂し、彼女を支えてきた男性ファンに対する挑発で、彼らを捨てる行為だったと思います。

日本人は、自分を、あの松田聖子だ、としか見てくれない、だから外国人と踊り、全米デビューした。
それはいいですが、であれば、そのステージも、日本でやらず、アメリカでやるべきでしたね。
全米ツアーやればよかったんですよ。
それをやらずに、そういったステージを結局は、日本で80年代の彼女に熱狂して今の彼女の地位を築いて支えてきた日本人のファンに見せて、お金を取って、仕事にしている。

それを見せられた往年の男性ファンは傷つき、離れたでしょうね… また戻ってきたでしょうけど。

でも、女性ファンが増えたのもこの頃からのようですが…

 

こういうのを見ると、彼女は、本当は、アイドル歌手に納まる女性ではなかったんだと思いますね。
少なくとも、男のマスコットのような生き方は我慢できなかった。

語学も必要であればしっかり身につける。
発音もいい。

彼女は才女で、アイドルやってなければ、社長くらいはやっていたでしょうね。

デビューしてまもなくやっていたラジオでの彼女は、本当に仕切り上手で、頭の回転がよく、あの若さで、大したものです。

 

30歳前半のあのころが本当の彼女、とは思いませんが、人間、みんな、その年齢によって考え方変わりますからね、あれが全てとは思いませんが、でも30代の前半の想いって、根っこに、確かにある自分自身であるのは確かだと思います。
ただ、その表現の仕方が、歳を経ることによって、優しくなるんだと思います。

 

彼女が書いた曲には、素直で、心に染み入る、いい曲があります。

まあ、作曲は、作曲といっても色々ありますからね、フレーズを一節書いてアレンジャーに渡しても、作曲になりますから。
曲は、私的には、アレンジが8割と思っています。
ただ、アレンジ8割では、売れる曲はできますが、名曲はなかなか出来ないかも、ですね。

 
詩も、彼女書いていますが、素人です。
プロの歌手が書いていても、所詮自分が歌うためだけのもの。
作品として、人に、詩を提供してしていなければ、どんなにいい詩を書いていても、その人は素人です。

そういう意味で彼女は、素人ですが、彼女自身も、別に自身が作詞家、だなんて思っていないでしょう。
ただ、自分の思いを伝える、言葉で、日本語で、ただそれだけ。

彼女はあえて、そうしてるのかもしれませんが、彼女の詩に出てくる単語に、普通、曲の詩としては使わないだろうというのがあります。
詩にするときは何か、特別な言葉、表現を選びがちですが、彼女は、そういったこと、しません。
表現が素朴でストレート。
作詞、というより、伝えたい相手への置手紙のような文。

でもね、そこがいい。

最初曲を聴いたときは、その、詩が、そういうものだから、メロディーから浮いてしまって、何かごつごつして、音楽が、メロディーがスーッとこちらに流れてこないような。
でも、何回も聞いていると、ある瞬間から、音楽ではなく、メロディーでもなく、詩そのものが、スッと浮かび上がって、しっかり心に届いているのが分かる。

 
プロの書いた詩は、最初からメロディーに馴染んで、音楽と一体になりますが、でもそのうち、詩は詩ではなくなり、”音”になってしまう。

でも、聖子の書いた詩は、最初はメロディーとはちょっと異質に感じても、でも、彼女の書いた詩は、最後には、
“ことば”になるんですね。

 

だから彼女の曲は、何回も聴きたくなる。

 
歌い方もそう。

高音が出なくなったり、艶がなくなったり、物理的な制約がある中で、当然、昔のようには歌えない中で、ああいう、しゃくりあげるような、聞き方によっては押し付けがましい、と評される歌い方になっていますが、でも、それがいい。
彼女は変に美しく聞かせようとか、上手くごまかそうとか言うことはしないで、とにかく、心を込めて、詩を歌おう、と。で、また、その、切ない歌い方が、曲に合っていたりね。

 

こういった、自作自演、セルフ・プロデュース、ありのままの詩、そして彼女の今のまっすぐで熱く力強い歌。

これらすべて、80年代のあの頃からの決別の思い、がベースにあるように思うのは、考えすぎかな…

 

2007年のコンサート。

アンコールも終わり、灯りが付き、ステージをはけようかという時、会場に、その時の最新曲のカラオケを流しました。
多分、新曲の一寸した宣伝のつもりだったんでしょう。
ところが、そこに残っていた観客が、そのカラオケに合わせて、その新曲を歌ってくれたそうです。

誰も知らないだろうと思っていた聖子は、嬉しくて、嬉しくて、涙涙で、その新曲を歌ったそうです…

コンサートではやっぱり、あの80年代の聖子を期待してくるお客が多く、その頃の曲を歌ったほうが客も喜ぶし盛り上がる。
でも聖子は、今の私を歌いたいから、その思いを、詩と曲に託して、新曲を出し続けていました。

上のエピソードは、私は勿論、リアルタイムでは知りませんから、詳細は分かりませんが…

 
そんなことがあったなんて…ね。

 
聖子、45歳のことです。
 

 

聖子は幸せです…

 

 

2007年、初全詩曲、自作アルバム『Baby’s breath』の先行シングル曲。

 

作詞:Seiko Matsuda   作曲:Seiko Matsuda   編曲:小林信吾

 

~~ 涙がただこぼれるだけ ~~

 

いいえわかってるわ
お願いそれ以上
言わないで終わったこと
いいのひとりにして
歩いて帰るから
こまらせてごめんなさい
これが最後だから

あなたのいないこの世界は
光や温もりさえないでしょう
泣いてないわ涙がただこぼれるだけ
明日からは愛したことも
過ぎ去る思い出に変わるのね
時間(とき)の中で迷ってゆくこの思いは何処へ

どうか忘れないで
誰かを愛しても
わがままよ今だって
どうぞ安心してジョークも言えるのよ
私なら平気だから
夢を追いかけてね

あなたのいないこの世界は
彩り微笑みさえないのよ
泣いてないわ涙がただこぼれるだけ
明日もまたおなじ昨日が
繰り返し訪れてくるだけ
時間の中で立ち止まったこの思いは何処へ

もし あなたがしあわせじゃなきゃ
頑張る意味がないから
もう 過去など振り返らないで
未来だけを見つめてね

あなたのいないこの世界は
光や温もりさえないのよ
泣いてないわ涙がただこぼれるだけ


 

51uryZ1GCHL

 

 

 

 

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