ミュンシュにはブラームスがよく似合う・・ ミュンシュ&パリ管《ブラームス交響曲第1番》

ミュンシュの演奏で外せない演奏・・
皆さんそれぞれ色々おありかと思いますが、やはりこれはここで聴かなければならないでしょう。
パリ管とのブラームス交響曲第1番。

そう聴いて、なんだ今更そんなの・・ とお思いの方ごもっともです。済みません。
でも、やっぱりこれは、外せないんです… 何故なら、これは、1967年にパリ管最初の音楽監督に就任しての最初の一連の録音であると同時に、翌68年演奏旅行中11月に亡くなるミュンシュにとっての遺作と言えるものだからです。
それに、設立当初のパリ管は凄かった・・ なんせ、あのいい加減な・・ いえいえ、大らかなフランス人が自ら律するために、三つの原則を立てたんです!!!笑
当時、国とパリ市から財政を保証されて演奏活動を始めたパリ管が自ら科した原則、
一、音楽監督の権限は、オーケストラの全ての芸術活動に及ぶ。
一、職務管理機関は、楽員の技術的水準の維持と向上とを図る。
一、絶対的規則として、楽員はその仕事の重点をオーケストラに置く。
以上。
どうです?某ユニバーサルミュージックスタジオ・オーケストラ・イン・ベルリンの連中につめの垢でも飲ませたいですね。まったく・・
これほどの演奏家たちの集まりでも、音楽を芸術として維持していくには、それ相応の覚悟が必要だってことなんですね、犠牲なくして、芸術なんてないんです。まあ、自分のオケが来日している間に、室内楽やらソロリサイタル、はたまた高い授業料のレッスンを熱心にこなし、小銭かせぎに忙しい現代の演奏家連中には到底、まともな演奏は出来ません。以前、ベルリンフィルが来日した時、ベルリンフィルの木五のリサイタルがあったんです。木管五重奏。勿論期待していきましたが、全く期待はずれでしたね。ヘタでした。アンサンブルになっていませんでした。バラバラ・・ その時からですよ、オーボエのアルブレヒト・マイヤーが嫌いになったの。何故なら、もう演奏が雑で、これ見よがしな表現、大げさで自己陶酔型でKYな演奏。その日聴いた中で一曲たりとも良いと思った演奏はありませんでした。逆に、ベルリンフィルの木管連中はこんなもんかと。
済みません。興奮してしまいました・・
この演奏のほかに、この時期、ベルリオーズの「幻想」、ラヴェルの「ダフニス、ボレロ、スペイン狂詩曲」が録音されていますよね。全て、名演です。考えてみれば、ミュンシュの急逝後は、カラヤンが音楽顧問、その後はショルティが首席指揮者になっていますが、この辺は応急処置みたいなもので、あまりパリ管にとっての最善については考えていなかったと思います。以降は、バレンボイム、ビシュコフ、ドホナーニ、エッシェンバッハ、で現在はパーヴォ・ヤルヴィですが、こうしてみてみると個人的にはどうもパリ管の楽団当局は指揮者のスカウトがヘタだなと思います。何となくネームバリューのある人にしたいのは見え隠れするんだけど、何か中途半端ですし、フランスの音楽が上手い指揮者にしたいのかと思えばどうもそういうつもりもないらしいですしね。大体バレンボイムで失敗したと思いましたけどね。笑 全くパリ管とは水と油、あれではパリ管聞く意味がなかったです。で、もっと最悪がエッシェンバッハ。これは最悪でした。もうこの人、指揮者の才能ないです。音楽が硬い。響いていない。ピアニストやる指揮者にろくなのいないです。大体なんでフランスのオケにわざわざドイツ人を選ぶのか全く理解できませんね。日本のオケがドイツ人、フランス人の指揮者を起用するのとはわけが違います。ああいう演奏を何の疑問を持たず何年間も聴いて喜んでいるんですから、もうその頃から私は、フランス人の音楽的センスはヘン、だと感じていました。ヨーロッパ人だから音楽的センスがあると思ったら大間違いですよ。
済みません・・ また、話がずれてしまいました・・
ただ、レコードで聴けるような名演奏を、現代ではなかなか聴けないことを思うととても寂しくて・・ね
これは現代演奏家、指揮者を含めたクラシック界に関わる全ての人間たちの罪ですよ。勿論、ダメな音楽に対してもそうとは分からず拍手を送っていた無知な聴衆も、です。大げさかもしれませんが、まあ、反省してもらいたいですね。責任者、出て来い!!って感じです。笑
今日聴く演奏には、これまで聴いた二つのベートーヴェン演奏における、直線的で、力ずくで、そのため単調になったり、雑になったり、と言うことがありません。ミュンシュがアプローチを変えたんでしょうか。そんなことありません。ミュンシュはこれまでどおり最初の一音からフィナーレまで一瞬の気も緩めず突き進んだ、そんな感じです。でもベートーヴェンに聴かれた何処かしら拙速な雑な感じがありません。何故でしょう。それは多分、曲が変わったからです・・ ベートーヴェンからブラームスに変わったからです。って当たり前じゃないかと思いますが、ミュンシュの持っている音楽的なエネルギーがベートーヴェンの時は速いテンポに集中しがちで、そのため力強く推進力に富んではいるものの、フレーズ処理が雑で拙速でそのため音楽が浅く聞こえるという面がありましたが、どうもブラームスの音楽はそういったアプローチを拒絶する音楽のようで、つまり、ベートーヴェンで外に向けられていたミュンシュのエネルギーが今度は内へ内へと志向し、それによって演奏上の様々なアゴーギクが、計算されたものではなく、ミュンシュのエネルギーの志向するままに動き出し、そのため音楽そのものがミュンシュのエネルギーの有り様そのものになる、そんな演奏に変わっています。乱暴に言えばミュンシュが力めば力むほど、よりブラームスが深くなる、と言ってもいいのかもしれません。ですから、そういう意味で、この演奏を聴いて、それほどミュンシュにはブラームスがよく似合う、そう思いました。

リッピングドライブ:PHILIPS CDD3610/85
リッピングソフト:POIKOSOFT Easy CD-DA Extractor
PC : Windows XP Pro Core 2 Quad Q6600 2.40GHz
AVI作成ソフト:AVIMAKER
FLVへのエンコーダソフト:MediaCoder
音声はMP3

【ブラームス/交響曲第1番ハ短調 作品68】

シャルル・ミュンシュ(指揮)
パリ管弦楽団
1968年1月8,12日、パリ、サル・ワグラム
【収録】
1.第1楽章 Un poco sostenuto-Allegro(呈示部反復無し)、2.第2楽章 Andante sostenuto、3.第3楽章 Un poco allegretto e grazioso、第4.4楽章 Adagio-Piu andante-Allegro non troppo
 

 

フルトヴェングラーを超えたとも言われた、素晴らしい演奏でした。
でもまさか、パリ管って、この時既にピークだったってことは…
ないでしょう….ね
まさか、ね…

 
★PC音源はメインシステムで聴きましょう。

 

 

 

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