カラヤン&ベルリン・フィルのブルックナー"交響曲第7番" 1975

大分ご無沙汰してしまいました・・
今日はカラヤンのブルックナーを聴きます。

カラヤンは全集を出すなど積極的にブルックナーを振ってきましたが、その演奏は他の名演とされる多くの指揮者のそれとは一線を画しています。
重厚壮大、神秘的、或いはこれはワーグナーか??と聴き間違うくらいのおどろおどろしさ。
それに比べたらカラヤンの演奏は非常に淡白で、実に淡々と進んでいきます。
ブルックナーを語る上で欠かせないのが版の問題です。
カラヤンも原典版を採用しています。
例えば、ベルリンフィルとの全集では、こうです。
交響曲第1番ハ短調(ノヴァーク版)
交響曲第2番ハ短調(ノヴァーク版)
交響曲第3番ニ短調(ノヴァーク版)
交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(原典版)
交響曲第5番変ロ長調(原典版)
交響曲第6番イ長調(原典版)
交響曲第7番ホ長調(原典版)
交響曲第8番ハ短調(ハース版)
交響曲第9番ニ短調(原典版)
所謂原典版とは、実は「初版」には弟子たちが手を加えているらしく、その関与を明らかにしそれを除去すべしということから、1929年ウィーンで国際ブルックナー協会が創設され、第二次大戦終結までロベルト・ハースが中心となって編集されたものが、当時原典版として世に出たもののようです。
ハース版、ノヴァーク版とあるのはその後、レオポルト・ノヴァークが改めて編集しなおしたもので、どちらも原典版といえるもので、4、5、6、7、9番はその違いが無いので原典版と称され、他は区別されていると言うことですが、7番もハースとノヴァークでの違いがあるようですし、しっかり調べないとちゃんとしたことはいえませんね・・
多分この全集では当初国際ブルックナー協会(ハースなど)で編集された所謂原典版を使っていいるのではないかと思います。で、その時編集されなかった3番や後にノヴァークによって編集しなおされた1、2番は、ノヴァーク版を使い、8番はやはりハース版を使ったと言うことではないかと思います。
基本的にブルックナーの音楽は打楽器は必要最小限しか入りませんが、私が一番許せない版は「シャルク改訂版」です。この版は、本来入っていない、入れてはいけない箇所にティンパニーを入れたり、別途金管やシンバル、トライアングルを追加したりしていて、もう最悪です。これは改訂版ではなく、勝手な編曲です。
この改訂版は勿論評判は宜しくおありません。当たり前ですね。
それにもにもかかわらず、また当時他にも版があるにもかかわらず、クナッパーツブッシュはこともあろうに、1956年の交響曲第5番ではこの悪名高いシャルク改訂版使ってウィーンフィルと録音しています。
歴史的な興味本位からか、どういう経緯でこの版を選んだかは分かりませんが、こんな演奏をしてブルックナーの音楽をおかしいと思わないのですから、このことだけでも、この指揮者のセンスが知れます。
その演奏を聴いた以降、私はクナの演奏を聴く気になりませんし、今となっては、そもそも彼の音楽家としての資質も疑っています。
他の多くの演奏家がやるように、アゴーギックの操作によるアプローチでは、いつまでたってもブルックナーの音楽は、片田舎の無骨でロマンティストなドイツのオルガン弾きの音楽で終わってしまうのです。
はたまたこれはワーグナーだったっけ???というようなお化け演奏になってしまいます。
どうしても教会でオルガン奏者になりたかった、そして実際にオルガンの名手として大成した彼の純粋な信仰の先にある宇宙にまで広がるこの思いを伝えたくて書いたこの音楽を、その溢れんばかりの彼の才能溢れるこの世界を如何に音として再現してあげられるか。
唯一カラヤンが、それに取り組んだ指揮者です。
【ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(原典版)】
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1975年4月、ベルリン、フィルハーモニー
リッピングドライブ:MATSHITA CD-ROM CR-594
リッピングソフト:POIKOSOFT Easy CD-DA Extractor
PC : Windows XP Pro Core 2 Quad Q6600 2.40GHz
AVI作成ソフト:AVIMAKER
FLVへのエンコーダソフト:MediaCoder
音声はMP3
【曲目】
第1楽章: アレグロ・モデラート
第2楽章: アダージョ(非常におごそかに、非常にゆっくりと)
第3楽章: スケルツォ(非常に速く)
第4楽章: フィナーレ(躍動して、しかし速くなく) 

カラヤンのブルックナーを嫌いな理由に、金管が煩いというものがあります。
しかしこれは演奏上のことではなく、録音再生の問題です。
現に私のオーディオシステムではうるさく感じません。
恐らく、これほどまでに音程、奏法等を揃えて、十分に余裕を持って鳴らしたときのベルリンフィルの金管奏者の実力を当時の録音技術では拾い切れていないように思いますし、再生装置が貧弱だとうるさく聴こえたり、別の楽器に聴こえることがあるというのは、音に拘ってオーディオをやってきた方であれば容易に理解できることでしょう。
ですから、パッケージメディアでの演奏者の音(楽器の音色やオケの響きなど)を評価するのはとても危険なことであり、総額200万円以下の装置ではその良し悪しを判断することは無理かと思います。
私もこうやってCDのレビューまがいのことをやっていますが、音色についての評価はしていないと思います。
もし、このカラヤンのブルックナーがうるさいとしたら、先にアップしたザンデルリンクのブルックナー第3番の方がよほど音楽的にうるさく感じます。
この頃のザンデルリンクは少し強引なところがあり、不必要なテンションを感じます。
ただそれも捉え方によって評価が変わるものです。

ブルックナーの人生には常に教会があり、オルガンとともに生きてきました。
そして彼の交響曲はこの教会でのオルガンの響きそのものです。
オルガンは時に荘厳で神秘的、時に厳しく私たちの胸に突き刺さるかのようです。

教会の礼拝に出られたことのある方はご存知でしょうが、礼拝は聖書を読み、説教を聴き、祈り、賛美歌を歌い、聖書を読み、祈り、賛美歌を歌い・・、と言うようにある種の儀式の繰り返しの中で、心が解け、気持ちがハイになっていくものです。
教会のオルガン奏者として多くの宗教儀式を身をもって体験してきたブルックナーは、その書く音楽にもこの淡々と執り行われる儀式が、その繰り返しの過程であられるある種のカタルシスを持っていくなんともいえない恍惚とした神聖な感覚を表現したかったのではないでしょうか。というより、それ自体が彼の音楽そのものだったのではないでしょうか。
ですから、例えばシューリヒトがシュトゥットガルト放送響とやったように、第2楽章の幾度と無く繰り返される対位法の末結ばれる頂点に行くまでに、アッチェルランドしてはいけないんです。そもそも、アッチェルの指示など無いですし。
他の音楽であれば繰り返されるモチーフは少しずつ変えていくことで、音楽的な高揚感を得る、と言うのが常套でしょうが、ことブルックナーの音楽には、それは通用しません。
何故って、儀式は一定の時間をかけて、淡々と執り行われるものだからです。
こう言ったことを理解しないで、実は、ブルックナーの音楽は振ることはできませんが、果たして・・
カラヤンはブルックナーはそういう音楽であると、理解し、共感したからこそ、このような演奏をしましたし、全集を出し、他のオケでも度々演奏しています。
カラヤンは、レパートリーを選ぶ時、その作品が音楽史上、スタンダードとなりうるかどうかを見極めています。マーラーは4569番と大地の歌、後歌曲をやっています。
ショスタコービッチは10番とあと一つくらいだったのではないでしょうか。
ストラヴィンスキーは3部作では春の祭典しかやっていません。
なんとなく、カラヤンの姿勢が分かりますね。
カラヤンは最晩年にウィーンフィルとこの7番をやっていますが、音楽が緩く、残念ながらダメです。
いずれにしても、このカラヤンのブルックナーのよさが判らない方は、他のカラヤンの演奏を聴いても本当のよさを理解できないでしょう。もうカラヤン聴く必要ないんじゃないでしょうかね・・。カラヤンは、あなたの手に負えないという意味で。
カラヤンのこのブルックナーは、下手なアゴーギックの操作に頼らない、音楽的にとても静かな演奏です。
そしてそれを成し得たのは、ベルリンフィルとのコンビあってのものでしょう。
この演奏で、ブルックナーの交響曲第7番は打ち止めです。
あとの演奏はその他大勢、似たり寄ったり、五十歩百歩。目×鼻×。
こんな独善的な私に共感してくださる方がいらしたら、正に真の音楽の友、です。
失礼しました。
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